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ベルギーの有名画家・絵画を解説

こんにちは、まるしかです。

 

国別画家紹介の第2弾は、西洋絵画史でオランダとともに黄金時代を迎えたこともあるベルギー編です!

 

ベルギーの画家というとピンと来ない方もいるかもしれません。ベルギーの一部はかつてフランドルと呼ばれ、商業を中心とした一大都市でした。フランドルの方が馴染みがある名称ですよね。

 

有名どころを列挙してみると、8人いました。

ほんとは似たような国なのでオランダ・ベルギー編としたかったのですが、人数が多すぎて泣く泣く分けました😂 次回オランダ編にします。

 

  • ベルギーの有名画家
ヤン・ファン・エイク 1395年頃-1441
 ヒエロニムス・ボス 1450年頃-1516
ピーテル・ブリューゲル 1525~1530年頃-1569
ヤン・ブリューゲル(父) 1568-1625
ピーテル・パウル・ルーベンス 1577-1640
フェルナン・クノップフ  1858-1921
ジェームズ・アンソール 1860-1949
ルネ・マグリット 1898-1967

 

 

ベルギー人画家の特徴は、幻想的。

想像の世界があふれ出る文学的な作風が多いです。

ちょっと間違うと悪趣味な方向に走る方も。

ベルギー人は感性が独特なんですよね。

もしくは一見普通に見えるんだけども、意味を知って初めて、恐ろしく感じる絵を描く人もいます。

 

そんなわけで、中野京子さんの怖い絵シリーズで、ベルギー人画家は選ばれがちです😅

描かれた意味を探るブームの中、ベルギー絵画は脚光を浴びているのではないでしょうか?

 

それでは解説です。  

 

↓気になる画家の名前をクリックしてください。 

 

ヤン・ファン・エイク:油絵の創始者にして超絶技巧の持ち主

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『アルノルフィーニ夫妻像』1434年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

当時から「第一級の画家」「15世紀最高の画家」と称されたヤン・ファン・エイクは、油絵の創始者です。

 

それまではテンペラという、卵黄と水を使って顔料を伸ばしていく技法が中心だったのに対し、卵の代わりに油を使いました(テンペラ画はボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』やダ・ヴィンチ『最後の晩餐』が有名です)

 

油絵の特長はぼかしやすく、また、色の塗り重ねで深みを出しやすく、リアルな描写表現が可能な点です。ヤン・ファン・エイクの精細な書き込み技術も相まって、15世紀では考えられないほど写実描写が完成されています

 

ファン・エイクの描く人物の表情はちょっと硬い。

ですが、写真に迫る細密描写は色あせず、今でも人気の画家です。

 

代表作『アルノルフィーニ夫妻像』は隅から隅まで見るのが楽しいです。

有名なのは、

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『アルノルフィーニ夫妻像』部分

「ヤン・ファン・エイクここにありき」というサインの下に、鏡に写っている赤と青の着物を着た人物が二人。

 

これは画家本人と公証人によって、結婚を法的に認める意味合いがあったそうですが、単なる結婚祝いの絵という説もあり、定まっていません。

 

どんな意味があるにせよ、細かいところも手を抜かず、いや、細かいところにこそ画家の意図が隠されているのは、いかにも北国の作家の作品という感じですね。フェルメールも謎が散りばめられてますし。

 

ヤン・ファン・エイクはベルギーの港町ブルッへで宮廷画家として活躍しました。宮廷からの注文と同時に、富裕層の依頼も受けています。先程の『アルノルフィーニ夫妻像』もそうですね。

エイクの代表作の一つ『ヘントの祭壇画』は、ブルッへ近隣の都市ヘントの裕福な商人から依頼を受けて描かれたものです。もともとはヤンの兄で同じく画家のフーベルトが手掛けていましたが、制作途中で死去、ヤンが後を引き継いで完成させたと言われています。

 

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『ヘントの祭壇画』1432年 シント・バーフ大聖堂蔵 wikipediaより

 

 

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『ヘントの祭壇画』翼をたたんだ状態 wikipediaより

『ヘントの祭壇画』はたたんだ状態の中段に受胎告知が描かれています。この絵の方が有名かもですね。

NHKの日曜美術館で解説していましたが、絵の世界にはないはずの木枠の影が床に映っていてお見事。背景の街並みの見える構造と合わせて二重の額縁構図は、空間を感じさせます。

ちなみに左下で手を合わせている老人が依頼主だそうです。

 

晩年は奥さんをモデルに、聖母マリアを描くことが多くなります。

『ルッカの聖母』では、赤ん坊キリストとの育児の一コマを切り取った絵が可愛い。

 

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『ルッカの聖母』1436年 シュテーデル美術館蔵 artvee.comより

 

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『宰相ロランの聖母』1435年頃 ルーブル美術館蔵 wikipediaより

描き込みがものすごい『宰相ロランの聖母』は名画ではあるのですが、キリストがものすごくおじさん顔なのが残念😅

 

これは、依頼主が国の偉い人だったので、神の子として厳格に描いたのです。

一方『ルッカの聖母』はどういう目的で描かれたのか不明ですが、イエスがちゃんと赤ちゃんとして描かれていることから、個人的な部屋に飾るためなのかなと思います。

 

ヒエロニムス・ボス:奇想画家の元祖

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『快楽の園』1503年-1504年 プラド美術館蔵 wikipediaより

ヒエロニムス・ボスは現代も続く奇想画家の元祖といえる人です。

ベルギーの画家は幻想的な作風の方が多いです。そこは国民の気質も関係していますが、表現の模範となったのはボスです。

 

代表作『快楽の園』、大抵の方が気になる右パネルの地獄の絵を拡大してみましょう。

 

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『快楽の園』一部(「樹幹人間」と「耳の戦車」) wikipediaより

 

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『快楽の園』一部(「地獄の王子」) wikipediaより

 

ここまで発想がぶっ飛んでいながら、傑作を作り上げた画家は数えるほど。しかも今から500年以上前の作品ですよ!?

当時は肖像画でなんとか生計を立てている画家が多い中、自由過ぎる絵を描いて、それでいて人気も高かったようですから羨ましいですよね。

 

20世紀を代表する画家で、溶けた時計の絵で有名なダリも、ボスのユニークな作風にインスパイアされました。これからご紹介するベルギーの画家も影響を受けた人は何人も出ています。

 

代表作『快楽の園』はスペインにあります。

スペイン国王フェリペ2世が競売にかけられていたこの絵を気に入って購入したためです。今はプラド美術館にあり、プラドの至宝と呼ばれている傑作です。

 

この絵に関してはwikipediaにかなり詳細な解説があって、わたしでは太刀打ちできませんからこの辺りで。リンクを置いておきます。

快楽の園 - Wikipedia

 

ボスは日本でも人気があり、解説本がたくさん出てます。

そっちを読んでもいいかも。わたしも買って勉強します!

 

 

ピーテル・ブリューゲル:寓意にあふれた幻想画家

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『バベルの塔』1563年頃 美術史美術館(オーストリア、ウィーン)蔵 wikipediaより

ピーテル・ブリューゲルは寓意をちりばめた画家です。

 

農民の素朴でキャラクターのような人物描写が親しみやすく、当時人気が出ました。

『バベルの塔』は有名です。バベルの塔もそうですが背景の家屋の描写がきめ細かい・・・

 

ブリューゲルはボスを尊敬し、素朴な絵の他に、恐ろしい絵も多数描いています。

中野京子さんの解説で恐ろしいと思ったのが下の絵です。

 

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『ベツレヘムの嬰児虐殺』1565年前後 ロンドン・ハンプトンコート王室コレクション artveeより

 

詳しく見るとなんのことやらよくわかりません。みんな何をしているのだろう?

引っかかるのはこの絵のタイトルです。実は・・・続きは本で!

 

 

実はブリューゲル家は美術史でも類を見ない画家一族です。

 

その名を聞いてあれ?知ってる作風じゃないと思った方、もしかしたら、次に紹介する花の画家ヤン・ブリューゲルを思い浮かべたのかもしれません。そちらの方が有名ですからね。

 

ヤン・ブリューゲル(父):花の画家

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『木製容器の花』1606-1607年 美術史美術館(オーストリア、ウィーン)蔵 wikipediaより

 

ヤン・ブリューゲルは花の画家として日本でも人気の画家です。

もちろん、ヨーロッパでも花の絵は大人気で、ヤンは家を何軒も持つほどの大富豪となったそうです。

 

北方の画家らしく丁寧な描写で、燃え上がるように配置された花々が素敵ですね。

花の一つ一つを重ならないように描く非現実感が、かえって豪華さを演出します。

 

ヤン・ブリューゲル(父)と書きましたが、彼の子供も同姓同名で、父親と同じような作風の花の絵で生計を立てていました。

 

 

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ヤン・ブリューゲル(子)『ガラスの花瓶に入った花束』1637-1640年頃 個人蔵 ブリューゲル展(2018年)会場内で撮影

正直、親子のどちらが描いたか見分けられないレベルです。

ところどころ模様のあるチューリップ、実は病気です。当時はこの模様が流行りだったよう。

ヤンの孫、ヤン・ピーテル・ブリューゲルも結局は花の静物画で活躍した画家ですから、最初のヤンがいかに画期的だったかがわかりますね!

 

花に限らず、ブリューゲル一族は一族同士で人気のある絵画をコピーし生計を立てていた部分もありました。父親の絵を息子が模写して売るなんて、ざらでした。

 

稼ぐことを何よりも大事にしています。といっても、実力はどのブリューゲルもトップクラス。

特にヤン・ブリューゲルは後に紹介する大画家ルーベンスと親しく、共作するほどの仲でした。

  

ピーテル・パウル・ルーベンス:王の画家にして画家の王

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『自画像』1623年 オーストラリア国立美術館蔵 wikipediaより

ルーベンスはバロック芸術を代表する画家です。

多作すぎて、代表作はと考えてみると、自画像がパッと思い浮かび上の絵を選びました。

ルーベンスは当時から大人気だったため、大規模な工房を持ち、殺到する注文をさばきました。

以前イギリスの画家で紹介したヴァン・ダイクもルーベンスの工房出身となります。

 

その才能は画家に収まらず、7ヶ国語を話す外交官としてイギリスやスペインに赴き、王に仕えました。

完全無欠の天才ですね。天才ですが、大きな波乱のない人生だったせいか、日本ではダ・ヴィンチほどの人気はありません。

今の私たちから見たら、肉感のありすぎる人物描写がウケないのもあるでしょう。

 

でも、子供を描かせたら、今でも通用する可愛さなのです。

 

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『眠る二人の子供』1612-1613年頃 国立西洋美術館蔵 現地にて撮影

22年春まで休館中の国立西洋美術館に、個人的に傑作と思ってる『眠る二人の子供』があります。

開館したら、是非見に行ってください。上を向いて眠る子供の口もと、鼻に目を向けてください。

 

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『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』1618年 リヒテンシュタイン美術館蔵 wikipediaより

12歳で夭折したルーベンスの長女クララ。

 

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『男の子の肖像(ニコラス・ルーベンス)』1619年 wikiartより

クララの弟ニコラス。この子のほっぺたも可愛いですね!

 

こういう作品をたくさん描いたらよかったのにと思いますけども、悲しいかな、ルーベンスは忙しくて、身近な題材を選ぶ暇がほとんどなかったのです。

上のようなスケッチは、歴史画や神話に描かれる子供の描写の、参考程度でしかありませんでした。

 

さて、ルーベンスの絵の特徴です。

それは物語に入り込んでしまいそうになるほどのダイナミックな表現力です。

 

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『キリスト昇架』(3連祭壇画の3枚のパネルをつなげて表示)1610-1611年 アントウェルペン、聖母大聖堂蔵 wikipediaより

キリストの磔刑のシーン、十字架を立てようとする面々がマッチョすぎます。

キリストは目をひん剥いて・・・こんな表情をするキリストを描いた画家が過去にあったでしょうか。劇的です。

大袈裟かもしれませんが、一人の男を持ち上げるって、確かにこんな感じになるよなと気付かされますね。

 

ちなみに『キリスト昇架』は「フランダースの犬」(フランダース=フランドル。今のベルギーを含む地方の呼称)の主人公ネロが、命がけでも見たいと思った絵です。

 

ルーベンスの絵の特徴について、もう少し詳しい解説は以下の記事を参考にしてください。

 

www.maru-shikaku.net

 

フェルナン・クノップフ:ベルギー象徴派の代表画家

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『愛撫』1896年 ベルギー王立美術館蔵 wikipediaより

クノップフはベルギー象徴派の代表画家です。

ルーベンスから200年ほど。ようやく代表画家の登場です。

ベルギー象徴派と書かれていますが、結局は文学や夢の世界を主題とする象徴派の人です。

ゴッホやゴーギャンに代表される後期印象派以降、アートシーンは世界で同じ傾向の画家たちが現れるようになります。ただし国や地域によって、微妙に特色が違うから、細かく分類されてベルギー象徴派となります。

 

象徴派といえば、もっと有名なのはオーストリア画家のクリムトですね。

クノップフはクリムトに影響を与えた人物と言われています。

親交もあり、上の『愛撫』をクリムト主導のウィーン分離派展に出展して成功を収めています。

 

『愛撫』はスフィンクスと男女両性を持つアンドロギュノスが抱き合うシーン。

スフィンクスといえば、旅人になぞなぞを出して不正解なら食ってしまう存在です。

そんな恐ろしい相手をやり込めて、こんな感じになってしまう奇跡の一瞬を描いたのか?

なんともシュールな光景です。

 

 

他には、

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『香』1898年 オルセー美術館蔵 wikipediaより

 

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『沈黙』1890年 ベルギー王立美術館蔵 wikipediaより

この2作品の装飾性や線の細さはクリムト作品に通じますね。

 

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『見捨てられた街』1904年 ベルギー王立美術館蔵 wikipediaより

風景を描かせたら、この極端さ。クノップフの生まれた街ブリュージュです。

故郷といえど、現物を見ないで描いたそう。この不思議な逸話はまたまた中野京子さんの著作にて。

 

 

ジェームズ・アンソール:仮面や骸骨をモチーフにした近代ベルギーを代表する画家

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『キリストのブリュッセル入城』1888年 ポール・ゲッティ美術館蔵 wikipediaより

アンソールは仮面や骸骨が登場する絵画を描いた巨匠です。

先のクノップフも含む20人会という画家集団の初期メンバーでした。しかし、あまりにも独特な性格と独特な画風から、あまり相手にはされませんでした。

 

無視された画風はだんだん表現主義やシュールレアリスムの画家から評価されるようになり、20世紀にはフランスの名誉あるレジオン・ドヌール勲章(日本で言う紫綬褒章みたいな)を得ています。ユーロ通貨になる前の100フラン紙幣の肖像にもなりました。

 

作品に頻出する仮面は、アンソールに馴染のあるものでした。彼の実家のお土産屋で仮面が売られていたのです。

というのも、故郷オーステンデ(オステンド)のカーニバルでは、仮面をつける風習があったのからです。

どういう意図で仮面だらけの画面にしようとしたのかは本人しかわからないところです。

カーニバルの賑やかな雰囲気が好きだったのかなと思うのと、仮面をつけてもつけなくても変わらないと思ったのかもしれません。

 

ルネ・マグリット:シュールレアリズムの大家

『大家族』1963年 宇都宮美術館蔵 上はamazon商品です。マグリットはギリギリ著作権生きてるみたいです。

ルネ・マグリットはシュールレアリスムの大家です。

ダリとともによく知られてますよね。シュールレアリスムとは非現実的ということです。シュールと略されて使われてますね。

 

マグリットは古典的な技法を使ってリアルに描く作風ですが、描くものが変わっています。

モノの持つ名前や意味を取っ払い、無理やり別の意味をつなげる。分かるものが分からなくなる。デペイズマンと言います(美術検定の頻出問題です)。

 

マグリットがなぜこんな絵を描いたのか?時代の流行りや本人の思想もあると思いますが、彼が画家兼広告デザイナーなのも理由でしょう。広告は一瞬で人の目を奪わないといけませんから。

 

宇都宮美術館に『大家族』という絵があります。

なぜこの絵が大家族?と思いますよね。マグリット作品のタイトルはひとひねりあります。

制作年の1963年に着目しましょう。第二次世界大戦が終わってベルギーが戦禍から復興しつつある頃なんですね。

 

鳥のシルエットから青空がのぞいていることから、大家族=ベルギー人が同じ空の下(Jpopの歌詞みたい笑)、希望を見ている?

でもこの考察はちょっと安易すぎるのではと思っちゃいます。鳥は飛び立とうとしているようにも見えますからね。

 

希望が見えているのだけれども、飛び去ってしまって、未来は暗いままかもしれない。期待と不安。そんな心の揺らぎが現れているかもしれません。

 

最後に

以上、ベルギーの有名画家・絵画の解説でした!

調べたら前評判通り、癖が強い。次に描こうとしているオランダ人画家は、意図を秘める点は同じですが、もっとノーマルな作風ばかりです。隣の国なのにこの違いはなぜ?面白いですね!

それでは!

 

こちらはイギリス人画家についての記事。 

www.maru-shikaku.net

 

印象派を拡大してみた感想もあります。 

www.maru-shikaku.net

 

高画質の絵画鑑賞で印象派を解説します@ポーラ美術館

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こんにちは、まるしかです。

 

絵画を4K,8Kなど高画質で見るのが流行ってますが、

「高画質で拡大できるのはいいんだけど、どこをどう見ればいいのかわからない」

ということがありますよね。

 

今回はフルサイズ一眼で撮った絵画の高解像度写真を元に、絵の解説をします。

 

何をというと、印象派!

絵画史の中でも印象派の作品は、絵の具が盛り上がるように置かれていたり、筆の跡が目立つため、一番高画質鑑賞に向いています!

 

なので印象派を紐解いてみようと思います。

 

印象派のポイントは次の通り。

  • 遠近感の表現が新しい
  • 揺らめき・移ろいの表現が新しい
  • ものの表面の凹凸の表現が新しい
  • エネルギーの表現が新しい

この辺りを解説します。

 

紹介するのは、コロナ前滑り込みセーフの2月に行ったポーラ美術館での写真です。ここは常設展であれば、写真撮影が可能。しかもコレクションはかなり質が高い。休館期間が明けたらぜひ。

 

写真は外部の写真共有サイトFlickrにあります。写真をクリックするとそのページに飛びますので、絵をクリックすると拡大、もう一度でさらに拡大できます(PCのみ)。

 

 

モネを高画質で鑑賞する

その1:遠近感の作り方が画期的

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クロード・モネ『睡蓮の池』1899年 ポーラ美術館で撮影

成功を収めたモネは、パリから75km離れた田舎村ジヴェルニーに家を建て、敷地内にこの睡蓮のある池を作りました。

その後モネは睡蓮ばかり描くようになりますが、この『睡蓮の池』はその最初期に当たる作品です。

 

一面緑で埋め尽くされていますね。

モネ自身が設計した太鼓橋、カラフルな睡蓮の花。

そしてポイントは、池に映る柳の木です。リフレクションがこの絵の鍵です。

 

何より不思議なのは、遠近感。

特に池の部分、手前側と奥で圧縮したかのように距離感がなく、のぺっとしてるのにも関わらず、妙な存在感が漂います。

 

池と地上の境界線がどこにあるのか、いまいちわからないのも変です。

 

そこで絵をよーく見る。すると発見があります。

 

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池の部分の左上の方の拡大です。もう少し拡大すると・・・

 

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絵の具をチューブから出してそのまま塗ったかのような盛り上がりですね。

花はシミみたいに塗られているけど、色でかろうじて花だなってことがわかります。

このテクスチャーを覚えてください。

 

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池の右下へ。作者の署名が入っている部分です。

さっきよりだいぶ画面がおとなしいですよね!

あんまり絵の具の盛り上がりがなく平坦な表面です。

花も花っぽい形になってきてます。

 

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ここで太鼓橋の部分。太鼓橋も荒っぽい筆のタッチですが、画面の中では比較的ピシッとした線で描かれています。

 

もう一度全体像に戻りまして・・・

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池の睡蓮は、

  • めちゃくちゃに絵の具が塗られている奥の方
  • 形がそれなりにわかる手前の方

の2部構成になってて、その間に太鼓橋が架かっている、という構成なんです!

太鼓橋の左端に生えている木の存在もこの距離感を裏付けしています。この木と太鼓橋は同じ平面上にあることは間違いないですから。憎い舞台装置ですね。

 

池の睡蓮の描き方は、カメラで言うところのボケの部分とピントが合ってる部分です。

絵画史では印象派以前の絵画は、遠くを表現するのに霞をかけていました。

白っぽく、または青っぽくして空気を描きましたが、ものの輪郭は崩しませんでした。

 

『睡蓮の池』が描かれた1899年と言うと、すでにアメリカのコダック社から持ち歩きができるフィルムカメラが誕生していました。

当然のことながら、そのカメラで撮った写真は画面全体にピントが合っています。

 

遠くのものをボケで表現するのは印象派が始まりなんですね。

  

その2:揺らめきの新しい描き方

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クロード・モネ『睡蓮』1907年 ポーラ美術館で撮影

『睡蓮の池』から8年後に描いた『睡蓮』はわたしたちにとって馴染みのある雰囲気です。

『睡蓮の池』と比べると画面の表面はかなり穏やか。だいぶ印象が違いますよね。

 

水面だけで地上は描かないという構図は、モネが最初ですね。

それくらい、水の表現に魅せられたのです。

モネが5~18歳くらいまで、ル・アーヴルという港町で育ったのも影響しています。

 

では作品を拡大してみます。 

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目を引くのは池のゆらめきの表現です。

S字の細かい青い線がぐにゃぐにゃっとたくさんあります。これがいいんですよね。

実際水面にさざ波が立つとしたら、もっと規則正しい線になってるはず。

 

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クロード・モネ『ラ・グルヌイエール』1869年 メトロポリタン美術館蔵 wikipediaより

↑モネ初期の作品にして印象派の始まりである『ラ・グルヌイエール』では、鮮やかなライトブルーのさざ波が、たくさんの一文字の形で描かれています。

 

それが『睡蓮』ではまるで生きているかのように、あっちいったりこっちいったりして、「線に沿って水が流れてんのかなぁ」と思わせます。

 

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 初期作品と比べるとだいぶ地味な色合いですけどね。このくらいが日本人の感覚には合っていたのでモネは人気なのです。

 

ルノワールを高画質で鑑賞する:ものの表面の凹凸を表現

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ピエール・オーギュスト・ルノワール『レースの帽子の少女』1891年 ポーラ美術館で撮影

続いてルノワール。ルノワールはカラフルですがパステルカラーでモネに続き日本人好みです。

 

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さらに拡大すると・・・

 

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鼻筋やアゴのあたりに注目してください。

筆の跡が顔の形に沿って流れるように残ってます。

これがルノワールの特徴です。

 

印象派はこれまでの絵画にある暗い影をなくしました。

ルノワールの場合黒を使いませんでした(ある時期のみ)。

上の作品の目もよーく見ると青で塗られています。

 

色彩に加えて、ルノワールは形に沿った筆の跡を多用することで、ものの表面を描いたのです。

  • 輪郭線+陰影 → 筆の跡

こういう変化です。

「まるで毛糸でできているかのようだ」と悪口を言われても、無視してこの技を使い続けました(晩年はもう少しかっちりした作風に変化してます)。

 

ゴッホを高画質で鑑賞する:筆の跡でエネルギーを表現

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フィンセント・ファン・ゴッホ『アザミの花』1890年 ポーラ美術館で撮影

ゴッホが亡くなるわずか1ヶ月前の作品。

画面はものすごい絵の具の量です!

では拡大していきましょう。

 

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ゴッホほど拡大して面白い画家はいないかもしれませんね!

蕾の部分がカップケーキのようです。

 

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アザミの蕾 wikipediaより

こちらが実物のアザミの蕾。ゴッホのは青アザミです。

絵のホイップクリームみたいな部分はアザミのトゲなんですね。

 

花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」。

晩年精神的に参っていたゴッホの心境がアザミを求めたのでしょうか。

 

少し離して・・・

 

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花以外で特徴的なのが、アザミの葉っぱの形。

イナズマのようなかなり個性的な形状です。

この形状を覚えててください。

 

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今度は背景と床面に注目。

筆やパレットナイフを駆使して、ミント色の絵の具を塗りたくっています。

それはもう気持ちいいぐらい豪快に。

普通に描くなら特に何もない背景と床面は、そのまんま何もないように描かれるはずですよね?

 

それがなんでこんな荒らされた雪面みたいなテクスチャーになるのかというと、

「アザミの葉っぱの直線的な形を画面全体に広げて、リズムをとっているから」

です。

 

テキトーに塗ったくったわけじゃなく、ちゃんと計算してます。

直線で画面を埋め尽くしたのがゴッホの意志で、アザミの力強さが表現されているのかなと。

 

そうすると、花瓶の同心円状の筆の跡が際立って見えてきます。

陰影表現はかなりテキトーなのに、筆の跡のせいで、なんとなく花瓶の形が立体的に、手にとってわかるような形に見えるのがすごいところ。

 

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もっと拡大すると、キャンバスの地が見えちゃってます。

こんなものは一筆で隠せるのに残しておいた。これは計算だと思うんですよね。

隙間を作ることで筆の跡をより目立たせたのです。

 

「なぜこんな風に描いたの?」

ということについて詳しく説明しようと思ったのですが、かなり長くなるのでざっくりいうと、

  • 印象派は表面の移ろいを描き、結果パターン化した
  • 印象派の技術は素晴らしいから、どう進化させるか画家は個人単位で考えた
  • 進化の例:点描を使う新印象派に進化した(ゴッホの友達のシニャック)
  • ゴッホは植物が持つエネルギーを筆の跡で表現した

ゴッホは後期印象派というカテゴリー(他にゴーギャン、セザンヌの3人)に入ってますが、この名前、誤解されやすいです。

なぜかというと「印象を素早く記録する」という印象派本来の目的とはかけ離れてるからです。

 

印象派から技術だけ受け継いで、形や色から自由になった最初の第一歩

が後期印象派です。誤解のない書き方をするならば、印象派を超えた次の世代、みたいな感じです。

 

おまけ・・・ポーラ美術館は他にも有名絵画が揃ってます

印象派の解説に入りきらなかった絵を一挙ご紹介です。

 

もう一度書きますが、

写真は外部の写真共有サイトFlickrにあります。写真をクリックするとそのページに飛びますので、絵をクリックすると拡大、もう一度でさらに拡大できます(PCのみ)。

 

印象派の時代周辺の画家

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エドゥアール・マネ『サラマンカの学生たち』1860年 ポーラ美術館で撮影

印象派画家たちのお手本となったマネ。マネは印象派の先駆者と言われています。

 

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ポール・セザンヌ『砂糖壺、梨とテーブルクロス』1893-1894年 ポーラ美術館で撮影

ゴッホとともに後期印象派の一人にして近代絵画の父と呼ばれるセザンヌ。ほんとはこの方も解説に入れたかったですね。それはまた後で。

 

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モーリス・ユトリロ『ラ・ベル・ガブリエル』1912年 ポーラ美術館で撮影

20世紀パリで活動したちょっとマイナーな画家ユトリロ。

印象派と同じくらい絵肌に特徴があって拡大してみると面白いです(特に雪や壁のところ)。

独特な表面は下地が厚紙だったからかもしれません。


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ピエール・ボナール『ミモザのある階段』1946年頃 ポーラ美術館で撮影

ボナールは日本の浮世絵に影響を受け、平面的な画面構成を使った画家です。

こちらは最晩年の絵。南仏の強い太陽の輝きをオレンジで表現しました。

 

同時期の日本画家たち

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岡田三郎助『あやめの衣』1927年 ポーラ美術館で撮影 

ポーラ美術館のパンフとかでよく目にする作品。

油絵の色の濃さが日本画の作風にうまくマッチしてていいですね。

 

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黒田清輝『野辺』1907年 ポーラ美術館で撮影 

あんまり日本の画家は詳しくないけどもこの方は知ってます。

日本の洋画家といったら黒田清輝です。黒田の描く人肌ってすごくみずみずしいんですよね。

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小山正太郎『濁醪療渇黄葉村店(だくろうりょうかつこうようそんてん)』1889年 ポーラ美術館で撮影 

この方は存じませんでした。茶色の発色が綺麗だったので掲載。

タイトルがものすごいですが、どぶろく(濁酒)が売っている黄葉の美しい村の酒屋という意味だそうです。

 

最後に

今回印象派の初解説でした。まだまだ書きたいことがあったのですが、構成的に軽くまとめました。

絵画の解説記事はこれからも細々と続けていきますのでよろしくお願いします。

それでは!

イギリスの有名画家・絵画を解説【ホルバインからバンクシーまで】

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こんにちは、まるしかです。

 

㊗️ロンドン・ナショナル・ギャラリー展開催!

イギリスの画家の作品なんてターナー以外滅多にこないよなーと思って、

「じゃあ、イギリスの画家って他に誰がいたっけ?」

と考えたら、あんまり知りませんでした💧

 

美術館に行けないのを機に、知識を整理します。

今回はイギリスの有名画家!

 

イギリスが活動拠点であれば、海外生まれの方もイギリスの画家とします。

有名どころを列挙してみると、結構いますね。13人も!

 

ハンス・ホルバイン(子) 1497-1543
アンソニー・ヴァン・ダイク 1599-1641
ウィリアム・ホガース 1697-1764
ジョシュア・レノルズ(レイノルズ) 1723-1792
トマス・ゲインズバラ 1727-1788
ヨハン・ハインリヒ・フュースリー 1741-1825
ウィリアム・ブレイク 1757-1827
J.M.W.ターナー 1775-1851
ジョン・コンスタブル 1776-1837
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 1828-1882
ジョン・エヴァレット・ミレイ 1829-1896
フランシス・ベーコン 1909-1992
バンクシー 生年月日未公表

 

ここからはそれぞれの作品をメインに、たまに主観を交えながらご紹介します。

個人的に好きなのがターナーとコンスタブルで、その二人はちょっと情報量多めです😋

 

イギリスの画家の特徴を簡単に書きますと・・・

イギリスの画家は、絵画史のメインストリーム(ギリシャ→イタリア→フランス→アメリカ)に乗っかったことはありません。

しかし、個性的で、次の時代を予見するような作風の画家がしばしば登場します。

 

個性的すぎるがゆえに、交流が狭く、ルネサンスとかロマン派とか印象派とか、そういうムーブメントを起こすのは向いていないです^^;

そこは国民性なのでしょうね。

 

けれども持っている才能や技術は他の国に負けず劣らずで、とっても興味深いはずですよ。

 

【追記】ロンドン・ナショナル・ギャラリー展行きました!

この記事とセットでどうぞ✋

 

www.maru-shikaku.net

 

 

↓気になる画家の名前をクリックしてください。 

 

ハンス・ホルバイン(子):リアルな描写に定評のある宮廷画家

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『ヘンリー8世』1537年頃 ロンドン・ナショナル・ポートレート・ギャラリー蔵 wikipediaより

ドイツに生まれたホルバインは、16世紀、ヘンリー8世の下で宮廷画家としてイギリスで活躍しました

ドイツ人らしく緻密な描き込みによる質感描写が得意。

ホルバインの描く人物は、硬い表情に決まったポーズが多いものの、人物の内面まで見えるくらい精密な人物描写で、現代に至るまで肖像画のお手本となっています。

(子)と書いてあるのは、父親も同姓同名でそこそこ有名な画家だったからです。親子でお互いをなんと呼んでいたのか気になりますね・・・

 

上に載せたヘンリー8世の絵は、ホルバイン作品で最も生き生きとしています。

この絵によってヘンリー8世の権威はより高まりました。

 

支えた先がこんな怖そうな人とは、だいぶ苦心した人生だったと思います。笑

実際ヘンリー8世は臣下や王妃を処刑し、カトリックを嫌いイングランド国教会を創設するなど波乱万丈な暴君です。失態があったらすぐ殺されるんだからたまったもんじゃない。

そんな血の気の多い王に気に入られたのだから、ホルバインはよほど忠実なお方だったのでしょう。

 

ヘンリー8世については中野京子さんの『欲望の名画』にその暴君ぶりが書かれてて面白かったです。

 

ホルバインには、その描写がリアルすぎるゆえのエピソードがあります。

『墓の中の死せるキリスト』という作品、

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『墓の中の死せるキリスト』1521-1522年頃 バーゼル美術館蔵 wikipediaより

ロシアの文豪・ドストエフスキーがこの絵を前にして、強烈な衝撃を受けました。ドストエフスキーの思想にも大きな影響があったことは彼の作品からも明らかです。

 

なぜ衝撃を受けたのかというと・・・

イタリアの画家たちがキリストを神々しく描いたのに対して、ホルバインは伝説のヴェールを剥ぎ取り、ただの男性としてリアルに描いたからです。

 

このキリストが復活するなんて、想像できないですからね。それくらい、想像したまま、見たままを描くこと自体が異質だったのです。

 

アンソニー・ヴァン・ダイク:ルーベンスの一番弟子

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『英国王チャールズ1世の肖像』1635年頃 ルーブル美術館蔵 wikipediaより

ヴァン・ダイクはフランドル(現ベルギー)から召集された宮廷画家です。17世紀、チャールズ1世に仕えました。

オランダの大画家ルーベンスを師匠に持ち、色彩豊かな表現を受け継ぎました。

ヴァン・ダイクの得意技はビロードの艶のある描写ですね。そこはルーベンスを超えてるんじゃないでしょうか。

 

それ以外の特技は肖像画家らしく顔の描写です。ヴァン・ダイクの描いた肖像画は、彼の死後150年ほどに渡ってお手本であり続けたというからすごい。

上の肖像画は、チャールズ1世のふてぶてしさが見事に表現された代表作です。

 

師匠のルーベンスと同じくらい人気だったヴァン・ダイクは、工房を構え、弟子と共作で作品点数を稼ぎました。ただあんまり人気すぎて、肖像画以外の作品が少ないです。

ルーベンスのドラマティックな歴史画に比べると地味なので、日本でのヴァン・ダイクの認知度・人気は今ひとつです。

というよりルーベンスがすごすぎなのですね。

 

ロンドン・ナショナル・ギャラリー展はヴァン・ダイク作品が見られる貴重なチャンスです。服装と顔の描写の巧みさを確認したかったのですが・・・。

 

ウィリアム・ホガース:イギリス絵画の冷遇に立ち向かったパイオニア

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『ジン通り』1751年頃 大英博物館蔵 wikipediaより

ウィリアム・ホガースはイギリスに生まれ、イギリスで活躍した初めての有名画家です。

イタリアの有名画家の作品ばかり売れて、国内はパッとしない肖像画家ばかりの情勢の中、ホガースは教訓画を広めて名を挙げました。

しかもほとんどは彼オリジナルのシリーズ物を絵画で表現。題材は当時の市民の様子を描いたものが多く、カンヴァセーション・ピースという家族の団らん画も流行させました。

 

油絵の技術も確かではあったのですが、ホガースの名声は銅版画を市民に大量に行き渡らせた結果、確立しました

 

上の代表作『ジン通り』も銅版画です。

急速に流行した激安酒のジンが、貧困層を蝕んでいった当時の様子が描写されています。風刺画ですね。

社会にメッセージを送るという意味では、今のバンクシーとやっていることはそこまで変わらないのが面白い。

 

詳しい描写はこれも中野京子さんの『怖い絵 死と乙女篇』で。

 

 

中野さんはドイツ文学者という肩書きですが、イギリスの歴史にも魅力を感じているようで、イギリス画家の作品を取り上げることが多いです。

  

ジョシュア・レノルズ(レイノルズ):イギリス初の美術学校初代校長

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『マスター・ヘア』1788-1789年頃 ルーブル美術館蔵 wikipediaより

レノルズは、イギリスの芸術家を育成するためロイヤル・アカデミーの初代校長を務めました。イギリス美術史上、最も重要な人物のひとり。

古典絵画の様式(グランド・マナー)を重視し、肖像画中心のイギリス画壇という状況の中、立派な歴史画を描くよう教育しました。

ただ、社会を教育するのは大画家といえども難しく、レノルズ本人は肖像画として生計を立てていました。

イギリスの画家は何世紀もの間、肖像画の縛りから抜け出せなかったのです。

彼が意図していた芸術家の地位向上は、19世紀になってからです。

 

レノルズの絵の特徴は、生き生きとした表情です。

特に女の子の無邪気な表情を最大限に引き出します。

上の『マスター・ヘア』は男の子ですけどね・・・。

彼は子供が大好きで、あやすのが得意な人でした。あやしておいて、印象的な表情を見せてくれればさっと記録し、あとで絵にしたのだそうです。

 

今を生きていたとしたら、確実にポートレート・カメラマンになっていたでしょうね。

 

www.fujibi.or.jp

↑日本にも少女を描いたレノルズ作品があります。

 

大人の女性も例外じゃありません。

昔美術展で見て、個人的にとても印象に残った作品が、大人の色気をかもし出してます。

 

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『ウェヌスの帯を解くクピド』1788年 エルミタージュ美術館蔵 ポストカードを撮影

 手のポーズと流し目が印象的だったんですよね!

 これも傑作です!

 

トマス・ゲインズバラ:風景画家になりたかった肖像画家

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『アンドルーズ夫妻像』1749年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

レノルズと4歳下のゲインズバラも肖像画家として活躍しました。

レノルズと違うところは、人物描写と同じくらい風景描写も一流という点です。

「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」

wikipediaより

もしあと半世紀遅く生まれていたら、風景画の流行に乗っていたでしょう。

 

上の『アンドルーズ夫妻像』は風景好きが高じて、人物の占める面積が少なくなってしまった例です。お手本のような構図ですね〜!

背景に力が入ってしまいましたけど、それにはちゃんと意味があるんです。

その理由も中野京子さんの『怖い絵 死と乙女篇』で。

 

 

ヨハン・ハインリヒ・フュースリー:文学から着想を得た幻想画家

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『夢魔』1781年 デトロイド美術館蔵 wikipediaより

 これまでの伝統的な肖像画家たちとは一変、フュースリーは物語や詩などの文学から着想を得て、絵画を描きました。

フランスで盛んとなるロマン主義の先駆け的な存在です。メジャーな画家の中ではマイナー寄りのフュースリー、わたしは『怖い絵 死と乙女篇』で知りました(何回出てくるんだこの本・・・)。

 

上の『夢魔』は、眠っている女性を襲い悪魔の子を妊娠させようとする夢魔(むま。別名;インキュバス)が主題です。

本来であれば夢魔は、誘惑しようと襲う相手の理想の異性像に化けた姿で描かれることが多いです。しかし、ヒュースリーはそのまんま悪魔として描いた。なぜかはわかりません。

 

20世紀以降氾濫する「醜悪」というテーマをこの時代に描いたという点でも、ヒュースリーは特異な存在かもしれません。

 

ウィリアム・ブレイク:死後評価された詩人兼画家

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『創世の時』1794年 大英博物館蔵 wikipediaより

神秘主義者ブレイクは死後1世紀近く経ってから評価された詩人兼画家です。

典型的な「生まれるのが早すぎた」人ですね。どちらかというと詩の方が有名で、20世紀になってから小説家やロックバンドが、自身の作品にブレイクの詩を引用しています。

 

上の絵画は天地創造の様子で、手に持ったコンパスで地球を測っています。

この方は限りなく神に近いけども別の存在みたいです。ブレイクは想像上の人物を生み出して神話を創り上げていました。

 

J.M.W.ターナー:イギリス画家人気No.1の風景画家

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『吹雪の中の蒸気船』1842年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより

 

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『雨、蒸気、スピードーグレート・ウェスタン鉄道』1844年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

 

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『国会議事堂の火事』1835年 フィラデルフィア美術館蔵 wikipediaより

ターナーは19世紀、ロマン主義の風景画家です。

イギリスの画家といえばターナーと言ってもいいくらい有名です!いつ見ても綺麗な色使いにハッとさせられます。

ドラマティックな作風を突き詰めた結果、晩年には大気の動きをメインに描いた作品を描きました。

上の3作品はターナーの代表作。他の有名作品も、後期〜晩年にかけて集中しています。

 

印象派の幕開けは、1869年のモネの作品からです(『ラ・グルヌイエール』)。

しかし約2,30年前に、印象派の先駆けのような作品を描いていたのが、ターナーのすごいところです。

 

作風以外で絵画の特徴としては、黄色やオレンジの扱い方が抜群です。

特に、夕焼け・朝焼けの描写は格別です!

 

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『解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号』1838年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

 

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『ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス』1829年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

↑この絵はロンドン・ナショナル・ギャラリー展で展示予定の作品。

 

↓ここからは昔行ったターナー展から得た雑学↓ 

ターナーが生きた19世紀はカメラが誕生した世紀。

しかしカメラが出始めの頃は、まだ絵画が写真の役割を果たしていました。

風景を絵にして名所を紹介する。今で言うところのる◯ぶ、ま◯ぷるの写真みたいな風景画を描く仕事をデビュー当時していたみたいです。

 

なので初期〜中期は鮮やかながらもかっちりとした作風。

転機は1819年のイタリア旅行です。

その後何度もイタリアを訪れ、大気の表現に魅入られ、あの曖昧な表現になったのでした。

 

ジョン・コンスタブル:初期は穏やか、後期は荒々しい作風の風景画家

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『干し草車』1821年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

ターナーの一歳下のコンスタブルも有名な風景画家です。

そのためにターナーと比較されやすいのですが、コンスタブルは地元サフォーク州の、のどかな田園風景を主に描いていたのが違うところです。

上の代表作『干し草車』をよく見ると、水辺や木々に小さなハイライトが点々と描かれています。

コンスタブルは風景にハイライトを入れた最初の画家です。17世紀にフェルメールが瞳の中にハイライトを入れたように。風景のハイライトはのちに印象派の作品に頻発します。

 

ちなみに『干し草車』は母国の反応はイマイチ、パリの出展で大きく反響を呼びました。ロマン派の巨匠ドラクロワは『干し草車』見て、『キオス島の虐殺』を全て書き直したそうです。

 

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『主教の庭から見たソールズベリー大聖堂』1825年 フリック・コレクション蔵 wikipediaより

この絵も、木の枝や葉っぱがところどころ光っていますね。

全体的には、ターナーと違って静かな画面だと思います。

しかし、コンスタブルの後期作品は違います。

 

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『牧草地から見たソールズベリー大聖堂』1831年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 wikipediaより

新海誠風の美しい作品。雲の描き方が粗いです。

 

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『ストーンヘンジ』1835年 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館蔵 wikipediaより

『ストーンヘンジ』は死の2年前に描かれた作品です。 手前のストーンヘンジのしっかりした描写と対照的に、空の描き方がラフです。2本の虹も色がなく、なんだかはっきりしません。

 

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『海を覆う雨雲(習作)』1824年頃 ロンドン・ロイヤル・アカデミー蔵 wikipediaより

コンスタブルはもともと印象派っぽいスケッチを残しています。後の時代でコンスタブルの習作は、完成品と同じくらい評価されています。

 

スケッチで留めていたラフな表現を作品に使ったのは、家族の不幸で精神的に参っていたせいもあるらしいですが、コンスタブルもターナーと同じ境地に辿り着いたのかもしれません。

 

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ:ラファエル前派のリーダーの一人。

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『ベアタ・ベアトリクス』1863年頃 テート・ブリテン蔵 wikipediaより

ロセッティは、19世紀に起きた運動、ラファエル前派の結成メンバーにしてリーダーの一人です。

ラファエル前派というと、次に取り上げる『オフィーリア』を描いたミレイが有名なのです。

 

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ラファエル前派のメンバー。ジュニアブックレットを撮影 

 

しかし『オフィーリア』を除けば、色彩感覚に優れるロセッティの絵画の方が、個人的には好きです。

 

そのロセッティには、モデルが何人かいました。

まず妻のエリザベス・シダル。

上の『ベアタ・ベアトリクス』、そしてミレイの『オフィーリア』のモデルです。

彼女は不幸な人生だったようです。詳しくは・・・またまた中野さんの本にて。

 

 

そして愛人のジェーン・モリス。

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『プロセルピナ』1874年頃 テート・ブリテン蔵 wikipediaより

強烈な印象を与えてくる顔ですよね。

ロセッティにとって運命の女性(ファム・ファタル)だったジェーン・モリス。

結局、ロセッティの弟子のウィリアム・モリスと結婚してしまいました。

世間が狭いですねぇ。

 

続いてよく作品に登場するのがアレクサ・ワイルディング。

この方には手を出していないようですね😅

ジェーン・モリスと同じくらい個性的な顔立ちだと思います。 

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『魔性のビーナス』1863-1868年頃 ラッセル=コーツ美術館蔵 ラファエル前派の軌跡展(2019年, 三菱一号館美術館)会場にて撮影

 

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『レディ・リリス』1868年 デラウェア美術館蔵 wikipediaより

ラファエル前派は聖書、神話、文学をテーマにモデルを着飾るのを得意としました。 

なんとなく、イギリス絵画のイメージってこういう絵なんですよね。

ロセッティはもう少し有名になってもいいと思います!

 

ジョン・エヴァレット・ミレイ:イギリス絵画最高峰『オフィーリア』の作者

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『オフィーリア』1851-1852年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより

ジョン・エヴァレット・ミレイもラファエル前派のメンバーです。

彼の代表作『オフィーリア』は、イギリス絵画の中でも特に人気の高い作品です。

オフィーリアとは、シェークスピアの戯曲『ハムレット』に出てくる悲劇のヒロインのことです。

夏目漱石が自身の作品『草枕』で『オフィーリア』を取り上げたためか、日本では知名度の低いイギリス絵画のなかで例外的に知られている絵です。

  • 緻密な背景描写
  • 鮮やかなグリーン
  • 川に身投げしたオフィーリアの、まるで生きているかのような美しい死に顔

これらが相まった結果、文学作品をイメージ以上に映像化した見事な例です。

楽屋裏はちょっと大変だったみたいですけどね。こんなエピソードがあります。

オフィーリアのモデルは、ラファエル前派の代表的なモデルのエリザベス・シダルであり、彼女はそのとき19歳だった。ミレーはロンドンのガワーストリートにあった彼のスタジオ7で、シダルを完全に服を着せた状態で、水を満杯に張ったバスタブの中に横たわらさせた。冬だったので、彼は水を温めるためオイルランプをバスタブの下に置いたが、作品に集中しすぎて火が消えたのに気づかなかった。結果として、シダルはひどい風邪をひいてしまい、彼女の父親はその後ミレーに50ポンドの治療費を請求する手紙を送った。ミレーの息子によると、彼は最終的に少し金額を下げて賠償を受け入れた。こうした騒動はあったにせよ、シダルをモデルにした作品としては、その面影を最もよく伝える作品とされている。

wikipediaより 

 

『オフィーリア』以外でも、緻密な描写が特徴的です。

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『マリアナ』1850-1851年 テート・ブリテン蔵 wikipediaより

 

ちなみにミレイは、ラファエル前派を応援していた批評家 ジョン・ラスキンの奥さんをゲットしてしまいます。これはラスキンが全く結婚に向いていない人だったためで、奥さんの方から出て行かれるという、当時としては珍しい出来事でした。

 

フランシス・ベーコン:抽象画に反抗した20世紀の大家

美術手帖 2013年 03月号 [雑誌]

フランシス・ベーコンはアイルランドに生まれ、イギリスで活動した画家です。

上の『インノケンティウス10世像の習作』が一番有名です。

わたし、この方は全然詳しくないので、引用で説明させてください。

アイルランド出身の20世紀の画家。抽象絵画が全盛となった第二次世界大戦後の美術界において、具象絵画にこだわり続けた画家で、作品は大部分が激しくデフォルメされ、ゆがめられ、あるいは大きな口を開けて叫ぶ奇怪な人間像であり、人間存在の根本にある不安を描き出したものと言われています。1926年頃から水彩や素描を描き始め、1927年から1928年までベルリン及びパリに滞在し、 1929年からはロンドンで、家具設計、室内装飾などの仕事を始めます。油絵を始めるのもこの頃であるといわれています。1949年には「頭部」シリーズの制作を始め、ロンドンのハノーヴァー画廊で個展を開き、 1954年にはヴェネツィア・ビエンナーレのイギリス館で展示。この頃からベーコンの評価が定着してきます。また、彼は著名な哲学者のベーコンの傍系の末裔で、病気がちだったためか、一般的な教育はすべて個人授業でまかない、美術教育も受けていないと言われています。

出典:https://www.amazon.co.jp/フランシス-ベーコン-Personnage-couche-Maeght/dp/B002SPGXTW

 

作風としては見た限り、ピカソをベーコン流にアレンジした感じです。

 

Hybrid Kids

とあるCDのジャケットにベーコン作品がありました。

彼のデビュー作『キリスト磔刑図のための3つの習作』。

 

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amazon商品ページより

エヴァに出てくるリリスはベーコン作品がモチーフなんでしょうか? 

 

著作権もまだ生きているので、 もしフランシス・ベーコンの絵画をもっと見たいなら、図版を読むといいです。

 

 

バンクシー:匿名のストリートアーティスト

バンクシーは生年月日はおろか正体も不明の、匿名ストリートアーティストです。一人なのか、集団なのかもわかっていません。

2000年頃からイギリスを拠点に活動しています。意外と活動歴は長いですね。

 

バンクシーはサザビーズオークションで、落札直後の上の絵がシュレッダーにかけられるニュースで知った方は多いと思います。わたしもその一人。

シュレッダーにかけられても、『赤い風船に手を伸ばす少女』→『愛はゴミ箱の中に』に改題されて、それで作品として成り立つのだからすごいですよね。

 

バンクシーは壁にステンシルという技法で絵を描いています。

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wikipediaより

上のような型紙を壁に当てて色のついたスプレーを吹きかけると、瞬時に絵になるというものです。

なぜ絵筆を使わないかというと、単純にさっと描いて早く逃げたいからなんですよね。笑 非常に合理的。

 

ステンシル技法を使ったストリートアーティストは、実はバンクシーが初めてではありません。

1980年代にブレック・ル・ラット、別名「ステンシル・グラフィティの父」というフランス人アーティストが最初です。

https://en.wikipedia.org/wiki/Blek_le_Rat

 

 

Blek Le Rat: Getting Through the Walls (Street Graphics / Street Art)

amazon商品ページより

バンクシー作品はこの方のより皮肉混じりでメッセージ性が強いのが特徴です。

 

ベトナム戦争の有名な写真のやつですね。

火炎瓶ではなく花束というのがポイント。ただの皮肉ではない発想は好きです。

 

バンクシーはアートをイベントに変えました。

イベントでは、人々の反応も芸術作品の一部です。シュレッダー事件はまさに彼の代表作ではないでしょうか。

 

最後に

以上、イギリスの有名画家・絵画の解説でした!

調べてみると結構好きな作品が多い。イギリス絵画の今の知名度は少しもったいない気がします。

この記事でイギリス絵画に興味を持ってくれたら嬉しいです。

それでは!

 

 

【追記】有名画家解説のベルギー編を書きました。

www.maru-shikaku.net